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広島地方裁判所福山支部 平成3年(わ)155号 判決

主文

被告人を懲役六年に処する。

未決勾留日数中九〇〇日を右刑に算入する。

押収してある手錠一個(鍵付・平成三年押第二六号の3)及び鎖一本(南京錠、鍵付・同押号の4)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、平成元年一一月、広島県三原市《番地略》(三原市沖の通称「小佐木島」の北岸)において、いわゆる「非行、登校拒否、情緒障害」等の問題を有する児童等の矯正施設を標榜する「風の子学園」を開設し、以来その園長として同学園を主宰、経営していたものであるが

第一  (Aに対する監禁事件)

平成二年七月三〇日午後八時頃、その日に両親らに伴われて来たA(当時二二歳)が、同人を学園に残して帰ろうとした両親らの後を追つて船着場の方へ歩き出したのを連れ戻したうえ、同人の逃走を防ぎ、その性格を矯正するためとして、同人を同学園内の小屋(スレート葺木造モルタル平屋建倉庫・床面積約一三平方メートル)の中に入れて同人に手錠をかけ、入口の扉に施錠して出られないようにし、そのまま同月三一日午後二時頃までの間、飲食物も与えずに同人を右小屋に閉じ込めて脱出できないようにし、もつて同人を不法に監禁し

第二  (Aに対する監禁致傷事件)

同月三一日夜になつて外出先から同学園に戻つた被告人は、前記Aが扉に体当たりして鍵を壊して小屋の外に出ているのを知るや、同日午後九時頃、前同様の目的のためとして、右Aを再び前記小屋に入れて両手錠をしたうえ足に鎖(平成三年押第二六号の4)をつけて同小屋に施錠し、二日目位から一日一回、後には二回、麦茶と梅干しあるいは少量のパン、サラダ、後には西瓜、ジュース等を与え、二時間位被告人または被告人から命じられた他の入園生らの監視のもとに小屋の外に出すほかは、引き続き同年八月八日午後一時三〇分頃までの間、同人を右小屋に閉じ込めて脱出できないようにして同人を不法に監禁し、よつて同人に対し入院加療四三日間を要する脱水症、急性腎不全、肺水腫による呼吸不全等の傷害を負わせ

第三  (Fに対する傷害事件)

平成二年一二月初め頃、知能、言語等の発達不全のために大小便の始末など基本的な生活習慣も身につけていないF(当時七歳)を園児として受け入れたものの、同児の夜尿等に手を焼いたあげく、これを止めさせるためとして、同月中旬頃、前記学園内の食堂において、蚊取線香の火を同児の臀部に押しつけ、よつて同児に対し加療約一週間を要する臀部火傷の傷害を負わせ

第四  (Fに対する傷害事件)

平成三年一月中旬頃、前記食堂において、前記Fに対し、前記第三と同様の目的のためとして、蚊取線香の火を同児の陰茎部に押しつけ、よつて同児に対し加療約一週間を要する陰茎部火傷の傷害を負わせ

第五  (B子に対する監禁事件)

平成三年六月一五日頃、当時在園していたB子(当時一六歳)が、他の園児二名とともに同学園から脱走しようとしたことから、これに対する懲罰と同児に反省させるためとして、同月一六日午後一時頃、同園内に置いてあつた貨物用鉄製コンテナ(床面積約八・一平方メートル)の中に同児を入れて入口扉に施錠し、その三日目位後から僅かな時間扉を開けて水や牛乳、パン等を与えたほかは、引き続いて同月二六日午前七時頃までの間、右コンテナの中に同児を閉じ込めて脱出できないようにし、もつて同児を不法に監禁し

第六  (C子に対する監禁事件)

平成三年七月一八日午後九時頃、その日に両親に伴われて学園に来たばかりのC子(当時一四歳)に対し、同児にこれまでの行動を反省させ、内省させるためとして、同児の両手首に手錠をかけて前記第五記載のコンテナの中に入れ、そこで手錠をはずして外から入口扉に施錠し、引き続き同月二二日午前六時頃までの間、飲食物も与えずに同児を右コンテナの中に閉じ込めて脱出できないようにし、もつて同児を不法に監禁し

第七  (D及びE子に対する監禁致死事件)

平成三年七月二七日頃、当時在園していたD(当時一四歳)の父親から被告人の指導方法等を不満として右Dを退園させる旨の申出を受けていたところ、これに反発していた被告人は、何とかして同児の退園を阻止し、あるいはこれを延引させたいと考え、あらかじめ学園内の幌馬車の車庫の中に箱に入つた煙草を置いておき、殊更に用事を言いつけてDを右車庫に行かせて右煙草を発見、拾得させたうえ、同日の夜、D及び園児のE子(当時一六歳)の両名が部屋に隠れて右煙草を吸つたことを知るや、同児らを詰問して叱責したうえ、これに対する懲罰との名目で、翌二八日午前零時三〇分頃、右両名の手首を手錠(平成三年押第二六号の3)でつないで前記第五記載のコンテナの中に入れて入口扉に施錠し、同日午前六時過ぎ頃と昼過ぎ頃に右扉を開けて水を与える等したものの、日中は内部の最高気温が摂氏四〇度前後に達する同コンテナの中に右両名を長時間閉じ込めて脱出できないようにし、もつて右両名を不法に監禁し、もつて右E子については同日午後三時前後頃、右Dについては同日午後八時前後頃、それぞれ高温状態等に基づく熱射病により同人らを死亡するに至らせ

たものである。

(証拠の標目)《略》

(主な争点についての裁判所の判断)

第一  被告人がDとE子の様子を確認した回数、時刻と両名の死亡時刻について(DとE子に対する監禁致死事件)

一  被告人は、平成三年七月二八日午前零時三〇分頃にDとE子の両名をコンテナに入れた後、〈1〉翌朝である同日午前六時頃、〈2〉同日昼頃、〈3〉同日午後四時頃、〈4〉翌七月二九日午前六時頃の少なくとも四回にわたつて両名の様子を確認し、麦茶や梅干し等を与えている旨弁解し、これに基づいて弁護人は、Dらが死亡した時刻は、右〈4〉以降である旨主張している。

二  しかしながら、被告人が平成三年七月二八日午前零時三〇分頃にD及びE子の両名をコンテナに入れてから後、同月二九日午後七時五〇分頃にコンテナの扉を開けて右両名が死亡している(なお、この時点で右両名が既に死亡していたこと及び被告人自身もそのことを認識していたことが証拠上明らかである。)のを発見するまでの間に、最終的に右両名の生存が確認され、あるいはそれが推測できた状況として証拠上明確な事実は、(イ)七月二八日正午過ぎ頃、被告人と指導員G子とがコンテナの扉を開いてDらに水を与えたこと及び(ロ)その前後頃に海水浴に来ていた高校生がコンテナの近くにあるシャワーを使用した際、コンテナの中から「コンコン」と壁を叩くような音を二回位聞いていることだけである。

三  これに対して、被告人は、右(イ)及び(ロ)の後にも、被告人は前記〈3〉七月二八日午後四時頃と〈4〉翌七月二九日午前六時頃の二回にわたつて右両名の様子を確認していると主張しているが、右〈3〉と〈4〉については、いずれも被告人の供述以外にこれを裏付ける証拠はなく、しかもその被告人の供述自体が曖昧であるうえ、他の証拠と矛盾するもので到底信用することができない。即ち

(一) 右〈3〉の七月二八日午後四時頃の確認の点については、記憶が比較的に新鮮である筈の平成三年八月一八日付けの検察官に対する供述調書(乙一九)でも、これが昼過ぎ頃であつたか午後四時頃であつたかよく覚えていない等としているうえ、その際一緒にいたという指導員のG子の検察官に対する供述調書(甲二一二)及び第五回公判調書中の供述からしても、同人が被告人と一緒にDらの様子を確認したのは七月二八日の午後零時半頃ないし昼過ぎ頃であつて、それ以後翌日の夜に死体を見るまでの間、そのような出来事はなかつたことが認められるから、被告人の右供述は、記憶違いか、さもなくば次に述べると同様の自己防衛的心理に基づく虚偽の弁解といわざるを得ない。

(二) また〈4〉の七月二九日午前六時頃の確認の点については、被告人は、捜査段階の初期には右時点でDらの様子を確認した旨述べていたところ(乙三)、その後間もなくこれが虚偽である旨自供し、嘘を述べていた理由として、「ずつとコンテナの中を確認していないということは具合が悪く、皆から非難されるのではないかと思つて嘘を言つていた。」旨述べており、公判段階の初期においても、七月二九日の早朝に確認した旨の明確な弁解ないし主張はしていなかつたところ、公判の最終段階において、卒然として「七月二九日午前五時前頃に両名の様子を確認し、麦茶、乾パン、梅干しを与え、両名がこれを食べた。」旨述べるに至つている。このような供述の変遷については、記憶が蘇つたとするだけで、他に合理的な説明はなく、このような経過からしても右〈4〉の確認をした旨の被告人の弁解は俄に信用し難いうえに、関係証拠によれば、Dらの死体が発見された七月二九日午後七時五〇分ないし午後八時頃の時点において、既にDの口から腐敗汁が出ていたことが認められるところ、右両名の死体を解剖した医師宮崎哲次、同小嶋亨に対する各尋問調書及び同人ら作成の各鑑定書(甲二〇〇、二〇一)によれば、死後そのような腐敗汁が生じるには、当時の気象条件等を考慮に入れると最低一日間を要することが認められ、またE子はDよりも五時間程度先に死亡したものと推定されるので、右両名が死体で発見された時点から約一四、五時間以前である七月二九日の午前五時ないし六時頃に右両名が生存していたとは考えられない。更には、被告人が言うように、二九日の早朝にDらに乾パンや麦茶を与え、これを同人らが食べたとすると、これを消化する時間等(右鑑定等の証拠によると、右両名とも最後の飲食から六時間以上経過して死亡したものとされている。)からして右両名の死亡時刻は二九日の正午以降となり、前記腐敗汁の生成時間との矛盾は更に増大することになる。従つて被告人の弁解は極めて不合理であつて到底採用することができない。

四  結局、前記各証拠により認められるDら両名の生存確認の最終時点及び医学的所見等を総合すると、Dら両名の死体が発見された七月二九日午後八時頃を基準にして、Dについてはそれより二四時間以前の七月二八日午後八時頃、E子については、更にそれより約五時間以前の同日午後三時頃がそれぞれの死亡時刻と推定することができ、他にこれを左右するに足る証拠はない。よつて、右両名の死亡時刻については、公訴事実記載のとおり認定して差し支えないものと認める。

第二  被告人の行為の正当性について

一  弁護人の主張要旨

弁護人は、判示第一、第二、第五、第六及び第七の各事件における被告人の各監禁行為につき、これらは問題性のある子を持て余した親から白紙委任的に譲渡された懲戒権に基づいて行つた教育的行為あるいは矯正行為であり、その具体的方法の一つとして、入園直後には自己反省(内観)のために、また在園中には約束違反等に対する懲罰として、園生や園児を小屋やコンテナに入れたものであるから、被告人には不法監禁の故意がなく、その行為に違法性もないとして、概ね次のとおり主張する。

(一) Aに対する監禁事件(判示第一)及び監禁致傷事件(判示第二)について

被告人は、Aの親から委嘱されてAの性格を矯正するため及び同人の逃走を防止するために同人を判示の小屋に閉じ込めたものであつて、不法性はなく、監禁罪は成立しない。ただ、その実施にあたつて適切な配慮を欠いたために脱水症、急性腎不全、肺水腫による呼吸不全を起こさせたものであるから、右傷害の結果につき業務上過失致傷罪あるいは重過失致傷罪が成立するにすぎない。

(二) B子に対する監禁事件(判示第五)について

被告人は、暴力団員と交際し非行に走るB子を安易に次々と矯正施設に預けるだけで自ら教育できなかつた親から、同児の教育を委ねられていたものであるうえ、同児が脱走を図つたことの懲罰として、またDやE子との連帯責任として、同児の了解を得たうえで同児をコンテナに入れたものであるから、不法監禁罪は成立せず、被告人は無罪である。

(三) C子に対する監禁罪(判示第六)について

被告人は、同園児の親からの委嘱を受けて、同児にこれまでの非行を振り返つて内省させる目的で、同児をコンテナに入れたものであり、同児も右目的を明確に判つていたものである。また、被告人は、コンテナに入れた翌朝には同児の安全を確認し、水分を与えるなどの配慮をしている。従つて被告人の行為につき不法監禁罪は成立せず、被告人は無罪である。

(四) D及びE子に対する監禁致死事件(判示第七)について

1 右両名は、被告人との間で、煙草を吸わないことを約束し、約束違反の場合にはコンテナに入れる旨事前に被告人から申し渡されていたところ、あえてこの約束を破つて煙草を吸つたため、右約束に基づき、右両名の承諾のもとに懲罰としてコンテナに入れたものである。確かに被告人がわざと煙草を置いたことは事実であるが、これは、当時Dがある程度自ら立ち直る兆しを見せていた時期であつたのに、親が理不尽にも勝手な理由で退園させようとしたので、被告人は一旦これを拒絶するとともに、果して退園に値するかどうか、約束を守れるようになつたかどうかを確認するために、わざと煙草を置いて試してみたものであり、検察官が主張するように、退園を阻止するために罠を仕掛けたものではない。

2 また右両名は過去に脱走を図つた前歴があり、更にかつてDは被告人に対して暴行を働いたこともあるところ、七月二八日夜に煙草を吸つたことで被告人が右両名を問責したため、これがもとで両名が脱走を図つたり、被告人に対して反撃に出ることを防止するためにコンテナに入れたものである。

3 なお、被告人は、右両名をコンテナに入れていた間、〈1〉二八日午前六時頃、〈2〉同日正午頃、〈3〉同日午後四時頃、〈4〉翌二九日午前六時頃の四回にわたり右両名の様子を確認し、麦茶等を与えており、それなりに両名の健康や生命に対する配慮をしていたのであるが、その配慮の程度や方法が万全ではなかつたために両名を死亡させたものであり、その限りで被告人に責任があることは認めるものである。

よつて、右両名をコンテナに入れた被告人の行為自体は監禁罪には該当しないから監禁致死罪も成立せず、被告人の行為は業務上過失致死罪ないし重過失致死罪に問擬されるべきである。

二  裁判所の判断

(一) 一般論として、成年に達した子については、その親と言えども既に親権を有しないのであるから、その子に意思能力がある限り、実力をもつてその子の行動を規制し、強制する何らの権限も持たないことは自明の理である。従つて、第三者が、そのような子の行動規制等について、その親から何らかの委託を受けたとしても、その子に対して、その行動を実力をもつて強制的に規制できる権限を取得するものではないことは言うまでもない。

また、未成年の子については、親は監護教育権の行使として必要かつ適切な教育、治療等を子に施し、あるいはこれを受けさせることができ、かつこれを適切に行使するために子の居所を指定し、これらに従わない子を懲戒する権利を有することは民法の規定から明らかであるが、子に意思能力がある以上は、その意思に反して親が指定した場所に居住することを実力をもつて直接強制することはできず、その他一般的に監護教育等のための行為にしても、これを実力をもつて直接的に強制することが法的に容認されているものではない。そして、これら親の監護教育に従わない子に対しては、懲戒権の行使として、ある程度の物理的な力を用いたり、子の行動の自由を制約することができると解されるが、そのような懲戒行為ないし措置も、健全な社会常識に照らして正当ないし相当と認められる範囲内においてのみ許されるものであり、その範囲は、懲戒の目的の正当性、手段、方法の相当性及び結果の重大性等を総合的に考慮して判断されるべきである。そして、このような親権の一部ないし相当部分の行使を第三者に委託して行うことも不可能ではないと解される。

(二) 次に、関係証拠によれば、教育関係者らの間で一般に「内観法」と呼ばれているのは、心理的に外界と遮断された環境・設備の中で、指導者の指示ないし動機付けのもとに、一定の手順に従つて一つの主題に思考を集中し、あるいは自己との対話を深めることを内容とする精神修養法の一つで、自己啓発や心理療法の一環として用いられているものであること、これを行うためにはそれなりの時間と適切な設備、指導者の存在とそれによる適切な動機付け等が必要とされるが、必ずしも断食とか外界との物理的遮断を必要とするものではないこと、非行生徒や問題児童らの教育・指導のためにこの方法を取り入れている香川県内や福島市内の民間施設における内観用の部屋を見ても、鍵をかけたり、廊下に囲まれたりして外界から遮断された構造になつてはいるが、採光や照明設備、空調設備、インターホンや連絡用ベル等を備え、モニターカメラあるいは透視レンズ等により室外から内部の様子を観察できるようになつており、室内や周辺に仏像を安置したり、植木鉢を置くなどして精神的な安らぎが得られるような雰囲気を作る工夫がされていること等の事実を認めることができる。

これに対し、被告人が言う「内観」とは、園児らをして自己を見つめさせるため、あるいは反省させるためとして、当初は粗末な小屋や倉庫の中に、平成三年四月以降は次に述べるようなコンテナの中に、それぞれ園児らを入れて外から鍵をかけ、最初のうちは全く飲食物を与えず、場合によつては手錠をかけたり足鎖をつけたりしたままで放置し、相当時間が経つてから(時には二日ないしは三日目位から)時々様子を見るとともに麦茶や水等の飲物と梅干し、簡単な食べ物(パンや粥等)を与えるだけで更に放置しておくというものであり、コンテナの中の様子を常時あるいは頻繁に監視するための設備も係員もなく、専門の指導者、面接担当者もいない。また、このような「内観」による指導ないし懲戒のために予め定められた実施基準や教程ないしは指導計画等はもとより、食事、睡眠、休息等の基本的な行動基準や時間割もない。なお、被告人自身は前記のような一般に「内観法」と知られる精神修養法ないし心理療法について専門的に研究したことはない。

(三) ところで、本件で問題となつているコンテナ(以下、本件コンテナとも言う。)の、コンテナの導入経過、形状、使用目的、使用状況等について検討すると、関係証拠によると次のとおり事実を認めることができる。

1 本件で問題となつているコンテナは、JR東福山駅において用途廃止となつた貨物用コンテナであつて、被告人は、平成三年一月下旬頃に、家畜の飼料倉庫として使う目的でこれを同駅から購入して学園内に置いていたのであるが、同年四月初め頃、被告人は、これを園児らの「内観改心室」として使用するのに適していると考え、同年五月初め頃に園児のDを閉じ込めたのを皮きりに、被告人の言う「内観」のための施設として園児らを閉じ込めるのに使用していたものである。

2 その形状は、外法において幅約二・四一メートル、長さ約三・六五メートル、高さ約二・二七メートル、内部の床面積約八・一平方メートルの鉄製の箱で、床に木材合板が敷いてあるが、窓や明かり取り等の照明・換気、通風設備もなく、内部には長い座り机一個、簡易便器一個が置かれているだけである。そして、その中に入つて鉄製扉を閉めると、内部は昼間でも真つ暗で、二ないし三ミリメートルの壁の隙間から僅かに光が差し込むだけで、手探りでないと動くことも容易でなく、真夏の晴れた日中の室内温度は摂氏四〇度前後に達し、着衣は短時間に汗でびつしより濡れる状態になる。

以上の事実からすると、このようなコンテナを指して「内観室」などと称すること自体極めて不適切であるばかりか、このようなコンテナの中に十分な飲食物も与えずに発育盛りの児童を前記のような方法で数日間にわたり閉じ込めておくという発想は、例え親の子に対する監護教育の具体的方法としても、あるいは懲戒権の行使としても、到底常識では考え難いものであつて、これによつてその児童が味わう恐怖と苦痛は並み大抵のものではないと考えられ、かえつて児童の心身両面における健康に対して有害な結果を生じるおそれが極めて大きいと考えられる。

してみると、児童をこのようなコンテナに閉じ込めることは、その目的が例えその児童の性格の矯正や問題点の治療等にあつたとしても、その手段、方法において著しく相当性を欠くものとして許されず、またこれが懲戒権の行使として行われたとしても、それは健全な常識によつて許容される範囲を遥かに越えた違法な行為であると言わなければならない。そして、このことは、親から包括的に監護教育権や懲戒権の行使を委託されたとする被告人についても同様であることは言うまでもない。

(四) 以上のことを前提にして、本件各被害者につき、不法監禁罪の成否を検討すると、次のとおりである。

{1} 成人の園生に対する不法監禁罪の成否について

判示第一及び第二の事件の被害者であるAが意思能力を有する成人であることは証拠上明白であるから、その親において右Aの行動の自由を実力で規制し、束縛できる何らの権限もなく、従つてその親から委託を受けたとする被告人においても、右Aの行動の自由を実力をもつて強制的に規制し、束縛できる何らの権限もこれを取得する謂われがない。そうすると、Aの親から被告人に対して何らかの委託があつたとしても、情状としてこれを考慮できるか否かはともかくとして、これが右Aに対する監禁ないし監禁致傷罪の成否を左右するものではないことは論をまたない。

{2} 未成年の園児に対する不法監禁罪の成否について

判示第四ないし第七の事件における各被害者は、当時既に一四歳から一六歳に達しており、意思能力があつたことは証拠上明らかである。

1 B子(判示第五)について

関係証拠によると、B子は香川県高松市内に両親らと居住していたものであるが、中学三年生頃から不良交友、不登校等の問題行動を起こし、高校受験に失敗してからは家出して暴力団関係者と交際するようになつたため、その両親において、同児を暫くの間地元から離して不良交友関係を遮断させようと考え、それまでに指導を受けていた地元の青少年錬成施設・財団法人「喝破道場」の理事長の紹介で風の子学園の存在を知り、同学園に同児を預かつてもらうことになつたこと、ところが、平成三年六月一〇日にB子(当時一六歳)を伴つて学園を訪れた同児の父親は、学園では園児をコンテナに入れることを初めて知つて驚き、被告人に対して、同児は体力がないのでコンテナには入れないでほしい旨申し入れていたこと、その後B子は、同月一五日頃、当時在園していたD及びE子の二名とともに学園から逃げようとして失敗し、コンテナに入れられるのを恐れて山の中に隠れるなどしていたが、翌一六日午前一一時頃に学園に戻つたところを被告人や指導員のG子に見つかり、同人らから「D君もE子さんも前に入つているから」と説得されてやむなくこれに応じ、コンテナの中に入つたこと、そこで被告人はコンテナの扉に施錠して判示のとおりB子を閉じ込めたこと、以上の各事実を認めることができる。

そうすると、そもそもB子の父親は、B子の健康状態等を心配して被告人に対し、同児をコンテナには入れないようにと特に念を押して依頼していたのであるから、被告人としては、同児に対する一般的な監護教育権や居所指定権の行使としては勿論、これまでの非行や学園から脱走を図つたこと等に対する懲戒権の行使としても、同児をコンテナに入れる権限を同児の親から容認され、あるいは委託されていた事実はなかつたというべきである。そして、B子本人が表明したという承諾についても、判示のような状況下では、これが同児の自由な意思決定に基づいたものとは到底考えられず、仮に百歩譲つて同児が自分で判断したと解する余地があるとしても、前記のようなコンテナに閉じ込める行為自体が強い違法性を帯びるものであり、B子は、このようなコンテナに入ることの危険性や有害性を知らされることなく、従つてそのことについての十分な理解もないままに同意ないし承諾を求められて止むなくこれに応じたものと認められるから、B子本人の承諾があつたことを理由に違法性がないとすることもできない。よつて、同児をコンテナに閉じ込めたことにつき、被告人には不法監禁の故意があり、かつその行為が違法であることは明白である。

2 C子(判示第六)について

関係証拠によると、C子(当時一四歳)は、東広島市内の中学の二年生になつた平成三年六月頃から男子生徒や好ましくない女友達と交際しはじめ、学習塾を怠けたり煙草を吸うなどしていることを両親に知られ、生活の乱れや学校の成績を心配した父親らと口論して家を飛び出すなどしたため、両親らが相談をもちかけた東広島市の教育委員会の紹介により、生活の乱れを直すために夏休みが終わるまでの間を目処に、風の子学園に預けられることになつたこと、そこで同児の両親は、同年七月一八日、買物に行く旨の口実で同児を伴つて学園を訪れ、被告人に入園を依頼したのであるが、その際被告人から、入園者には三日か四日間位、「内観」として飲まず食わずで閉じ込めておくが、自分達も商売であるから心配はいらない旨の説明を受けたものの、コンテナの存在やそれを使用するなどの説明は一切受けておらず、付近で見掛けた普通の建物や部屋等で軽い断食をする程度であると認識していたこと、同児の両親が同児を置いて帰つた後の同日午後九時頃、被告人はいきなり同児に両手錠をかけてコンテナに連れてゆき、そこで手錠をはずしたうえ、同児をコンテナの中に閉じ込めて外から施錠し、そのまま同月二二日午前六時頃までの間、飲食物も与えずに放置した(なお、この間の七月一九日から翌二〇日にかけて、被告人はコンテナの鍵を持つたまま学園を離れて留守にしていた)こと等の事実を認めることができる。

以上の事実からすると、被告人は、C子の両親から、同児に対する監護・教育権の行使を委ねられたことを一応認めることができるけれども、だからと言つて、それを実行するために、既に意思能力があることが明らかな同児の自由を実力で拘束し、同児を一定の場所に閉じ込めておくこと、即ち同児自身が自らの意思で同学園から離脱することを実力で阻止することまで許されるものではないことは前述のとおりである。

そこで次には、同児のこれまでの非行ないし問題行動を反省させ、その性格等を矯正するための指導方法として、あるいはそれに対する懲戒として同児をコンテナに閉じ込めたことが、親の子に対する監護・教育権ないし懲戒権の行使(そして被告人による代理行使)として許されるか否かを検討すべきであるが、前認定の事実関係からすると、同児の両親において、同児をコンテナの中に入れて絶食させるという方法での教育、指導や懲戒行為までをも具体的に了解し、是認していたとまでは認め難いうえ、仮に両親において、ある程度行動の自由を制約し、食事を制限すること等による指導、教育や懲戒行為を包括的に了解、是認していたと解する余地があるとしても、そもそも子に対する指導、教育と言えども実力をもつて何らかの行為を強制するという方法自体が許されないと解されるうえ、懲戒行為としても、具体的にどのようなことが許されるかは、その行為の目的の正当性、手段・方法の相当性、結果の重大性等を総合勘案して判断すべきところ、本件コンテナに長時間飲食物も与えずに閉じ込めておくこと自体が違法であることは前記のとおりである。従つてC子に対する被告人の判示行為が不法監禁罪にあたることはやはり明らかと言わなければならない。

3 D、E子(判示第七)について

前掲関係証拠によれば次の事実を認めることができる。

(1) Dは、兵庫県姫路市内に両親らと居住していたものであるが、中学一年生頃から不良交友、万引き等の問題行動を起こしはじめ、やがて外泊、校則違反、怠学、喫煙、シンナー乱用等のほか、担任の女性教師に対して暴力を振るうなど非行性が深まつてはいたものの、元来は小心で気が弱く、不良グループの中では特に目立つた存在ではなかつた。中学三年生になつた平成三年四月頃、Dは、生活指導担任の教師から「広島にミニ牧場的な施設があるので、一度環境を変えてみないか。」と誘われて興味を持ち、これを父親に伝え、父親はその教師から姫路市教育委員会内の愛護センターを紹介され、同センターの指導主事から改めて風の子学園を紹介され、勧められて学園に強い関心を持つに至つた。

そこでDの父親は、同月一八日頃、下見のために風の子学園を訪れて被告人と会い、同人から水泳、座禅、カッター漕ぎ、乗馬、動物飼育、作業等により自然の中で教育する等の指導方針、教育内容等や入園に際して必要な費用等の説明とともに、園児に自分を振り返らせ、反省させるために三日間位部屋に入れて断食させることがある旨の説明を受けたが、体罰を加える等の話は聞いていない。そして帰宅した父親から「馬に乗れる。」などと聞いたDも結局は乗り気になり、同年五月二日、両親と一緒に同学園にやつて来たDは、さしあたり八月一杯までの予定で同学園に正式に入園することになつた。その際両親は、被告人から求められてDのこれまでの素行や家族関係等を簡単な箇条書きにして提出したが、夫婦中その他の家族問題等非行の原因に関するような事柄についての質問もなく、またこの時は断食や内観についての話もなかつた。

(2) E子は、広島県三原市内に両親と居住していたものであるが、小学校時代の終わり頃からいじめに遇い、中学二年生の夏頃から不登校、喫煙等の問題行動が表面化したため、中学三年生になつた平成元年四月に市内の別の中学校に転校した。しかしE子は同年夏頃から再び登校しないようになり、いわゆるテレホンクラブに出入りしたり、家でダイヤルQ2に電話をかけたりして過ごし、翌平成二年春の高校受験もしなかつたため、両親が心配して教師らに相談等するうち、平成三年五月頃、父親の知人の妻であつたG子が風の子学園に勤めていることを知り、同人から、子供を預かつて国語や算数、運動等を教えるほか、一緒に作業をして働くことでやる気を起こさせる指導をしている旨の話を聞いたE子の母親が、同学園を訪ねて被告人と面談し、その後も被告人と三原市内で会つて入園費用等の説明を聞いたうえ、父親と相談してE子を入園させることにした。その間にE子の母は、被告人に対して右のようなE子の様子を話したが、被告人からは、「これまでに何十人もの子供を立ち直らせた。自分に任せればよい。」などという話を聞いただけで、詳しい指導方法等は聞いていない。

そして同年五月三一日の夕方、E子の母親は、かねて被告人と打ち合わせていたとおり、「小佐木島に悩みを聞いてくれる先生がいるので話を聞きに行こう。」とE子を誘つて学園を訪れ、帰りの船がなくなつたとの口実でその夜は学園に宿泊し、翌早朝、E子を残して母親だけがこつそりと学園を離れた。こうして以降E子は園児として学園で生活するようになつたものである。

(3) ところで、右Dについては、概略以下のような経過により、同児の父親において同児を学園から引き取ることを決意し、これに抵抗する被告人との交渉を経て、同児を引き取るべく父親が学園に赴いた直後に、DとE子の両名が閉じ込められていた本件コンテナの中で死亡するという事件が発生したものである。

イ 平成三年六月一五日頃、DとE子の両名は、園児のB子とともに脱走未遂事件を起こし、その懲罰として、これら三名はいずれも小屋やコンテナの中に監禁された(B子につき、判示第五参照)。

被告人から右事件について連絡を受けたDの父は、同月二〇日、中学校の生徒指導担当教諭ら二名とともに学園に行つたが、被告人から「今日は会わせることはできない。」と言われてDとは面会できず、更に被告人から「八月末までということになつていたが、今回の件もあつたのでどうですか。」などと在園期間の延長を暗に求められたが、まだ決められないとして即答せず、Dとの電話連絡を被告人に依頼した。なお、この時被告人は右生徒指導担当教諭に対し「生徒を夏休みの間一週間でも二週間でも連れて来て貰いたい。」などと依頼しており、これを聞いたDの父親は、帰りの船中で同行の右教諭に対して「被告人は金儲け主義ではなかろうか。」との感想を洩らしている。

ロ その後Dから父親に対する電話連絡もないままに経過しているうち、同年七月一〇日頃、Dの父親は、Dと同じ中学の友人の父親から、右友人が入つていた前記喝破道場からの情報ないし噂として、「風の子学園のやり方は押しつけ的で問題がある。子供がパンクしてしまう。早く出した方がよいと言われている。」旨の話を聞き、被告人に対する不信感を抱くとともに不安を感じはじめた。そこで、Dの父親は、前記生徒指導担当教諭にその旨を連絡し、喝破道場からの更に正確な情報収集等を依頼したものの、それ以上に明確な情報は得られず、いよいよ心配していたところ、たまたま学園が一泊二日の「親子体験」を募集していたのでこれに応募し、七月一三日に学園に赴いた。

ハ Dの父親は、学園の中を見て回るうち、Dの部屋が乱雑に散らかつていて掃除も行き届いていないことから、学園での躾け方に強く不信感を抱き、更にDから「両手に手錠をかけられ、足に鎖をつけられて小屋に閉じ込められた。被告人は自分を信用してくれず、その一方で嘘を言う。昼間から酒を飲んでいる。」等、被告人に対する不満や批判を打ち明けられ、被告人に対する不信感をいよいよ強くしてついにDを退園させようと決意し、Dに七月二八日に迎えに来る旨を告げ、更に退園後は生活態度を改め、学校の授業を真面目に受ける事などを約束させたうえ、退園することを他の園児等に口外しないように口止めした。

その日の午後八時頃、Dの父親は被告人と面談し、「Dと同じ時期に喝破道場に入つた友人も帰つているのでDも退園させたい。二八日に連れて帰りたい。ここにいても余り良くなつていないようなので、今後は家で指導したい。」などと申し入れたところ、被告人は一応これを拒否したものの、「しようがないですなあ。」などと曖昧な態度に終始してその場の話し合いは終わつた。ところが、その夜中に学園内の部屋で就寝中のDの父親のところへ被告人がやつて来て、「Dが二八日に帰ることを園児のE子に洩らしたため同児まで帰ると言い出した。煽つてもらつては困る。」などと苦情を言い立てた。しかし、そこへDの父親と同様に学園に見学に来ていたE子の母親が来て、「E子本人は来年の三月まで頑張ると言つて納得しているから、もういいです。」などと取りなしたので、被告人もようやく納得して引き上げた。

その後の七月一九日頃、Dの父親に学園を紹介した姫路市教育委員会の前記指導主事や中学の生徒指導担当教諭は、その頃訪れて来た被告人からDの退園話を聞き、右教諭は、その直後の同月二一日頃に在学校の校長らとともにD方を訪れ、Dの父親に対して「D君を夏休みまで学園におらしたらどうか。」などと勧めたが、同人から断られている。

ニ 七月二七日の夕方頃、被告人はかねてから用意しておいた一五、六本入りの煙草の箱(マイルドセブン)を学園敷地内の幌馬車の車庫内に置き、これをDに見つけさせるために、指導員のG子を介してDに右車庫にある防腐剤の缶を持つてくるようにと命じたうえ、同日午後八時頃には右G子に対し、「海水浴客から、馬車の車庫のところに煙草を忘れたとの電話があつたので、見てきて下さい。」などと嘘を言つて煙草がなくなつているのを確認した。

その頃、Dの父親が電話をかけてきて、被告人に対し、翌日の二八日にDを迎えに行く旨の念を押したのに対し、被告人は「まだ連れて帰つてもらう訳にはゆかない。これは顧問と相談した結果だ。」などと実在しない顧問まで持ち出して強くこれを拒否し、更に「どうしても連れて帰りたいのなら、公の身元引受人と一緒に来い。警察官か学校の先生を連れて来い。」などと要求した。父親は、被告人の突然の要求に立腹し、「とにかく明日行つてからの話にしよう。」と言つて電話を切り、この時も物別れのままに終わつた。

ホ その後、Dを含めた園児や被告人らは、キャンプ客のカラオケ宴会に参加していたが、DとE子の二人がそこから抜け出して部屋に隠れて前記の煙草を吸つたことを察知した被告人は、同日午後一一時頃、食堂に右両名ともう一人の園児C子を集めて「煙草を吸つたのは誰か。」などと怒鳴りつけて詰問し、E子がすぐにこれを認め、当初一旦は否定していたDもすぐに一緒に吸つたことを認めたため、翌二八日午前一時前頃、被告人は二個一組の手錠を右両名の片手ずつにかけて繋ぎ、前記コンテナの中に右両名を入れて扉に鍵をかけて閉じ込めた。

ヘ 同日(二八日)午前九時頃、Dの父母、祖母らが学園に到着し、食堂で寝ていた被告人を起こしてDを迎えに来た旨告げるとともに同児の様子を訪ねたが、被告人は言を左右にしてDの様子や所在を教えないばかりか、傍らにいたG子にも口止めしたため、父親との間で「連れて帰る。」、「帰すことはできない。」と押し問答になり、互いに相手の態度や方針を非難し合つて終いには喧嘩腰の口論になつた。その間に、ようやく被告人は父親に、Dらが煙草を吸つていたことを話したが、同児らをコンテナの中に入れていることは明かさなかつた。そこでDの父親は、しばらく頭を冷やそうと思つて食堂の外に出て付近を歩いているち、先に食堂から出ていた祖母らがコンテナの中にDが入れられていることに気付いて、そのことを父に知らせたことから、Dの家族らがコンテナの周りに集まり、中のDと声をかわして煙草を吸つたことやE子も一緒に入れられていること等を聞き出した。

その後、Dの家族らが、Dらをコンテナに入れた事情やコンテナ内部の暑さなどを心配して尋ねたのに対し、被告人は、「煙草は海水浴客が忘れて帰つたと電話があつたものだ。」、「(コンテナの内部の温度については)調べていないが自分で入つて体験した。」、「三四度から三八度位だ。」、「責任は絶対持つから大丈夫です。」、「夕方涼しくなつてから表に出して外の空気を吸わせてやる。麦茶も飲ませてやる。」などと言つて右家族らを安心させたうえ、「退園するなら親以外の連帯保証人と誓約書を入れてくれ。誓約書の下書を今週末に送るから。」などと要求した。

そこでDの家族らは、その日の夕方頃にはDらは外に出して貰えるものと考えるとともに、その日に連れて帰ることは諦め、同日昼過ぎのフェリーで学園を離れた。

そして、その日の午後三時頃にはE子が、午後八時頃にはDが、判示のとおりコンテナの中で死亡するに至つた。

(4) 以上の事実関係によれば、被告人は、七月二八日にDの父親らが同児を迎えに来ることが必至となつたため、若し同児の退園を許したときは、在園者が減るうえに自己の立場がなくなり、信用を損なわれることになると考え、何とかしてその時点でのDの退園を阻止し、できるだけこれを延引させて事態を有利に展開させようと企て、その前日の二七日になつて、Dが喫煙の誘惑に抗し難いことを見越したうえで、故意に煙草を置いてDに見つけさせ、同児が喫煙するのを待つてこれを問責し、これに対する懲罰を口実に、たまたま一緒に喫煙したE子とともにDを本件コンテナに閉じ込め、翌二八日に迎えに来たDの家族にも会わせないようにしたものと考えざるを得ないのであつて、被告人及び弁護人において、被告人がD及びE子の両名を監禁した理由として主張するところは、到底採用し難いものと言わなければならない。即ち

イ 被告人は、Dが退園に値するかどうかを試すために煙草を置いたものであり、Dがこの煙草を吸つた以上は、かねての約束どおりの懲罰を与えたものである旨主張するけれども、そもそもDの父親は、それまでの学園生活によつて煙草を含むDの問題点が改善されたから退園させるとは言つておらず、被告人の方針や指導実態に不信感を抱き、学園での生活の効果に疑問を持つたために退園を主張して被告人と対立するに至つたのであるから、被告人が主張するように喫煙行為が直つたかどうか等を試すこと自体が無意味であり、そのようなことを試すために前記のような手の込んだ方法でDが喫煙するように仕向けたという被告人の説明は不自然かつ不合理であつて到底首肯し難いものである。しかも、真実被告人が言うような懲罰が正当なものであると信じていたのならば、Dの家族らが来園した際に、堂々とその理由を説明してDとの会話や交信をさせても特段の支障はない筈と思われるのに、却つてDの消息を隠すように振る舞つていたことも、被告人の弁解に後暗いところがあることを示唆しているものと言える。

ロ また、E子がDと一緒に喫煙したことに対する懲戒について言えば、同児が喫煙するに至つたこと自体が、もともと被告人においてDをいわば罠にかけてその退園を阻止する等の目的のために作出した行為の巻き添えになつたものと言えるから、やはり懲戒に名を借りた不当な目的に基づく行為と同視できるうえ、本件コンテナに閉じ込めること自体の違法性は前記のとおりであるから、仮に被告人においてE子の親から委託された懲戒権を行使できる立場にあつたとしても、右喫煙を理由に本件コンテナに同児を閉じ込めることは、結局のところ懲戒権の濫用として許されないというべきである。

ハ 次に、右のように煙草を吸つたことを問責されたD及びE子両名が、これに反発して脱走を図つたり、反撃を加えてくることを防止するためとする主張について言えば、右両名においてそのような行動に出る兆候を示すような形跡は証拠上見当たらず、特にDについては翌日に家族が迎えに来ることが既に知れ渡つていたのであり、E子についても、同児はいち早く喫煙を認めて従順な態度を示していたうえ、Dが退園しても後に残ることを納得していたことは前記のとおりであるから、被告人の右弁解は不合理ないしは詭弁と言うほかない。

ニ なお、被告人が本件監禁中に合計四回にわたつてDらの様子を確認し、いずれも麦茶や乾パン等を与える等して右両名の健康や生命に対し、それなりの配慮をしていた旨の主張については、前記第一に述べたとおり、被告人が右両名の様子を確認したのは七月二八日の午前六時頃と同日正午過ぎ頃の都合二回だけであるから、その前提とする事実関係を認めることができず、採用の限りではない。

以上のとおりであるから、被告人においてD及びE子の両名を本件コンテナに閉じ込めたことが不法監禁罪にあたることは明らかであり、その結果右両名を死亡させたものであるから、被告人につき、右両名に対する監禁致死罪の成立を認めるべきことは言うまでもない。

(法令の適用)

被告人の判示第一、第五、第六の各所為はいずれも刑法二二〇条一項に該当し、判示第二の所為は同法二二一条(二二〇条一項)に該当するから、同法二二〇条一項の刑と平成三年法律第三一号による改正前の刑法二〇四条の刑とを同法一〇条により比較し、重い傷害の罪について定めた懲役刑に従い(但し下限は監禁罪のそれによる。)、判示第三、第四の各所為はいずれも平成三年法律第三一号による改正前の刑法二〇四条、同罰金等臨時措置法三条一項一号に該当し、判示第七の所為は被害者ごとに刑法二二一条(二二〇条一項)に該当するから、同法二二〇条一項の刑と同法二〇五条一項の刑とを同法一〇条により比較し、重い傷害致死の罪について定めた刑に従い、なお右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから同法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情が重いと認めるDに対する監禁致死罪の刑で処断することとし、判示第三及び第四の各罪については所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第七の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役六年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち九〇〇日を右刑に算入し、押収してある手錠一個(鍵付・平成三年押第二六号の3)は判示第七の、鎖一本(南京錠、鍵付・同押号の4)は判示第二の各犯行の用に供したもので被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用してこれらを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

第一  量刑上の問題点--検察官及び弁護人の各主張についての検討

一  検察官は、被告人が主宰し、本件の舞台となつた風の子学園は、被告人が背負い込んでいた多額の負債の返済資金を獲得するために設立されたものであつて、被告人は、自然体験を謳い文句にして、自己の能力も省みず、人的・物的に十分な態勢・設備もないままに、園児らに対して粗食を強い、園内作業に従事させたうえ、園児らの反発に対してはコンテナに閉じ込める等の恐怖を与えてこれを抑えつけるなど、金儲けのために園児らを犠牲にし、その親を食いものにしていたものである旨主張している。

確かに、関係証拠によれば、被告人は、風の子学園の開設前に青少年の非行防止活動のための合宿施設として「飛渡瀬青少年海洋研究所」を、またその後身としていわゆる「情緒障害児」等の矯正施設を標榜する「ふるさと自然の家」(いずれも広島県佐伯郡大柿町に所在する中学校跡地を利用したもの)を主宰・経営していたが、その経営に失敗して少なくとも二千万円以上の負債をこしらえ、しかも右施設における入園者らの処遇について、部屋に施錠し、戒具を用いる等してその行動の自由を不当に制限したとして所轄警察署から指導を受けていたほか、右施設からの立ち退き問題を巡つて、その貸与者である大柿町との間で紛争を生じてついてにここから撤退せざるを得なくなつたこと、この負債を返済するための収入源を得ることを目的の一つとして同様の施設の開設を計画し、前記小佐木島の海水浴場敷地を買受けて風の子学園を開設したのであるが、その敷地買収などの開園資金を得るために、広島市内の自宅の敷地・建物及び右学園敷地を担保として、金融機関から新たに四千数百万円の借入を起こし、その大半を費やして風の子学園の開設にこぎつけたこと、しかしながら当初は年間約三〇名の入園者を目論んでいたのに、現実には思うように入園者が集まらず、学園開設後本件が発生するまでの三年足らずの間に預かつた園児ら入園者の数は延べ一七名に過ぎなかつたため、毎月数十万円にのぼる返済金の捻出や学園の運営費用の確保に苦慮し、その金策や入園者の募集・獲得に奔走していたこと、右入園者の親からは、入園金、施設整備費、保証金、療育費等の名目で、しかも日常の生活及び指導・教育費に当たる療育費は数か月分を前払いとして、結局右期間中に合計約一八〇〇万円(従つて一人当たりに平均すると一〇〇万円余り)の金員を納入させていたが、その在園期間は最も長い者で約一〇か月で、一か月未満で退園した者が六名もいるのに、前払い分等の精算を拒んでいたこと、その他にも特別指導料とか動物の購入費用等の名目で多額の金銭の追加納入や融通を求める一方、学園の日常生活の最も基本的な部分である食生活については、栄養学的な配慮や計算に基づいた献立予定や予算の策定もなく、場当たり的に食料品店等から購入する食品材料等の費用は、在園者数の変化を無視して単純に計算しても一か月平均二万円余りに過ぎず、園児らに対しては、「粗食に耐え、不便に耐える。」との建前に基づき、麦飯と一汁一菜程度の極めて質素な食生活を余儀なくさせ、発育盛りの園児らにとつては必要カロリーにも達しない献立が多かつたこと、被告人自身も通常は学園において園児らと同じものを食べ、同じような生活を送つていたものではあるが、ビールが好きで、一日に大瓶一本位に相当する量のビール(通常は缶ビール・時にはそれに相当する日本酒)を、日によつては昼食時から飲んでいたこと、学園の宣伝パンフレットや教育関係者、親達に対する口頭の説明では、座禅やミーティング等のきちんとした日課や、体験学習としての乗馬や木工クラフト、スポーツ等の項目を盛り沢山に記載、説明し、新聞の取材に対しても、その教育環境や指導内容等を殊更に美化し、矯正効果等を誇大に表現するなどして世間の注目を集めようとしていたのであるが、実際の日常的な園内生活においては、起床時間や作業、食事時間も一定せず、乗馬やボート漕ぎ等を活用した組織的な訓練はおろか、一定の目標を定めて予め計画、策定された日課もなく、専ら菜園での農作業や家畜の世話、小屋や柵のペンキ塗り等に終始して所詮その日暮らしの域を出ず、各園児らに対する個別的な指導や教育内容及びその結果ないし効果の検証等を記載した記録としては、短期間学園の職員として勤務し、Fの面倒を見ていたH子とI子が記入していたノートがあるほかには、見るべき資料とてない状態であること、平成二年秋から平成三年初めにかけての頃は、前記Fのほか一名の入園者しかなく、平成三年五月以降には、前記Aを除くその余の本件各被害園児らが順次入園したものの、B子は僅か一か月足らずで退園し、続いてDの退園問題が持ち上がり、これを阻止しようとした被告人が本件監禁致死事件を惹起したという状況からも明らかなように、この頃には、被告人は、入園者ないし在園者の確保に目を奪われて、園児に対する指導・教育方針の見直しや態勢作り、あるいは施設の整備、充実などが疎かになつていたこと等の事実を認めることができる。これらの事実からすると検察官の主張にもそれなりの根拠がない訳ではない。

しかし一方では、関係証拠によると、被告人は、終戦前に工業学校を卒業して終戦までの約一年間海軍に在籍し、終戦後は広島市内の造船所検査係として定年まで勤めた者で、とくに青少年教育や矯正関係の職歴や経験もないのであるが、右造船所在職中の昭和三九年代から青少年の指導・育成に関心を持ち、海軍時代に習得したカッター操法訓練等の指導による篤志活動や私塾開設の形でこれに携わつていたもので、その出発点においては青少年問題に対する被告人なりの奉仕的精神と情熱を持つていたこと、昭和五七年七月に定年退職した後は、前記「飛渡瀬青少年海洋研究所」や「ふるさと自然の家」を順次開設してこれらの運営に専念するようになつたが、やがてその経営に失敗し、本件「風の子学園」に転進するについても、前記負債の返済資金を作るという目的だけではなく、それに加えてやはり長年にわたり自分が手掛けてきた青少年の非行防止や矯正等のための活動を更に続け、余生をこれに打ち込みたいという熱意があつたこともあながち否定できないこと、被告人は、前記のとおり自分自身も施設に住み込んで食堂の片隅に粗末な寝床を拵えて寝起きし、時々広島市内の自宅に帰つたり、各地の学校や施設を訪れるために学園を留守にすることや、前記のようにビールや酒が好きであつたこと及び老齢等のために休息をとることが多かつたこと等を除けば、概ね普段の生活や食事も園児らと共にしていて、被告人だけが特に贅沢な生活をしていた訳ではなく、個人的な蓄財を企てていた形跡もないこと等の事実を認めることができる。

そうすると、本件各事件が起こつた段階では、多額の債務返済や学園運営のための資金繰りに窮していた被告人が、何とかして入園者を集め、在園者を繋ぎ止めておくことによつて収入を増やし、融資を受けようと躍起になつていたことは事実であるが、さりとて、検察官が主張するように、被告人は、当初からこのような金儲けの目的のためだけに風の子学園を開設し、運営していたものであるとか、園児らに対する指導、教育は、親から金を集めるための口実に過ぎなかつたとまで断定することはできないものである。

二  一方において弁護人は、いわゆる不登校や非行等の問題を抱えた児童、生徒らの親や、これらの児童、生徒の指導にあたる学校や教師が、その責任を放棄して被告人ら民間の篤志家に頼り、これに問題を押しつけるという風潮が本件各犯行の原因ないし背景となつているとして、本件各犯行の責任をひとり被告人のみに負わせるべきではない旨主張している。

確かに、本件における関係証拠の上から見ても、多くの家庭が何らかの問題を抱えてその家族がそれぞれに悩みを持ち、そのために家族相互の結びつきが損なわれ、ひいては親が子の教育について自信を失い、子の問題行動や非行が深刻化して親の手に負えなくなるや、教師や学校に対して過大な期待を寄せ、更には公的ないし私的な機関や施設に頼るという傾向があること、また教師を含めて学校教育関係者らにおいても、問題生徒を不良交友関係から切離すことが学級運営を円滑に行い、かつ学校内の秩序を維持、回復するための早道であることから、とかく問題生徒を一時的にせよ教育の現場である学校から隔離する方法によつて当面の問題を回避し、事態を糊塗しようという風潮があること等、現代社会において家庭や学校が抱える深刻な問題が本件の背景にあることが窺われる。そして本件の場合、Dについて言えば、学校関係者からの勧めによつて、その他の被害者らについては、それぞれの子の問題性を扱いかねていた親が学校その他の関係者や知人らに相談をもちかけ、そこから紹介される等して、それぞれの子を入園させることにしたものであるが、これら紹介者らの殆どは風の子学園の実態を正確に知つておらず、特にDに学園を紹介するについては、前記姫路市教育委員会内の愛護センター担当者において事前に学園に赴いて調査しており、Dの退園問題が起こつた際には在学校の生徒指導担当教諭らが父親に同道して学園に赴いているほか、その前後頃に前認定のとおり被告人が姫路市へ来てこの問題を学校関係者らに報告した際にも、右愛護センターの担当者らがこれに対応しているうえ、飲食を共にするなどして相当程度被告人と親しく接していたのであるから、それ相応の情報を得る機会があつたと考えられるのに、本件発生後の捜査機関の事情聴取に対するこれら関係者らの応答は、風の子学園のパンフレットに書かれた謳い文句や被告人から聞いたとする話を受け売りする程度の域を出ず、学園ないし被告人の指導方針やその実態についての具体的な長所、短所や問題点の有無等を全くと言つてよい程把握していなかつたことが窺われる。もつとも、右Dの親を含めて他の入園者の親達にしても、その子を入園させるに際しては学園を訪れてその環境や設備等を自分の目で見たうえ、被告人の説明を聞くなどしているのであるから、子供を預かつて貰つて何とかして貰いたいという気持ちが先立つて若干の遠慮があつたと考えられるにせよ、被告人ないし学園の教育方針や指導内容が真実信頼できるものかどうかとか、それによつて有効な指導、教育が受けられるかどうか等について、いま少し冷静に観察し、判断すべきであつたと批判される余地もないではない。

そうして見ると、このような一般的な風潮や本件各場合に見られるような親や学校その他教育関係者らの軽率な、あるいはその場しのぎ的な態度や対応が被告人をして徒に慢心、増長させ、自己の能力や設備の限界を超えた受入れ態勢や指導方法を安易に取らせ、ひいては本件各犯行のような行為を容易ならしめたものと言えないこともない。

しかしながら、更に翻つて考えて見ると、本件の場合、被告人自身においていわゆる「登校拒否児童」や「情緒障害児」あるいは「非行児童」等の指導、矯正についての専門家を自負し、各地で講演などして自己の体験や実績を吹聴して入園を勧誘し、近隣各地の学校や教育委員会の関係者らと積極的に接触して入園者の斡旋を依頼していたことが証拠上明らかである。してみれば、被告人は、児童、生徒らの非行、不登校、情緒障害等の問題を抱えて、その対策、対応に苦慮する親や教師、学校等の不安と困惑を十分に承知し、かつその問題解決の困難さを十二分に認識しながら、敢えて自らこのような児童・生徒を受入れていたものと言えるから、前述のような事情をもつて被告人に有利な情状と考えることができるとしても、そこにはそれなりの限度があると言うべきであつて、これを過大に評価することは相当でない。

第二  裁判所の判断

以上の前提に立つて本件各犯行を概括し、かつそれぞれの事件を個別に見て被告人の責任を検討すると、以下のように考えるのが相当である。

先ず、概括的に見ると、本件一連の犯行は、町の篤志家として青少年の健全育成、非行防止活動にそれなりの情熱を持つて取り組んできた被告人が、職場を定年退職した後に右活動に専念するようになつたばかりに、皮肉にも自己の能力を超えてその活動の幅を広げ過ぎ、確たる財政的基盤や経営の見通しもないのに広大な敷地や建物を借りて施設の規模や活動形態を拡大させ、それに伴つて被告人の教育観や指導方法の旧弊さや経済観念の乏しさが露呈してその運営に失敗し、その結果多額の負債だけが残つて財政状態が破綻に瀕したにもかかわらず、その債務の返済資金を得るためと、これまでに打ち込んできた青少年の健全育成、非行防止等の活動を続けたいとの思いから、更に多額の融資を得て本件風の子学園を開設したものの、これらの負債返済資金及び学園の運営資金の捻出、調達に苦慮したあげく、自転車操業的な経営の中で人的・物的に十分な設備、態勢を整える余裕もないままに、学園の経営維持のためには入園者を増やし、あるいは在園者を確保しておかねばならず、そのためにはある程度速効的な手段、方法を取らざるを得ないような状態に追い込まれ、園児らに手錠をかけたり足鎖をつけたりして小屋やコンテナに閉じ込め、あるいは火傷をさせるなど、心身共に未熟な園生や園児らに恐怖心を植えつけることによつて指導効果を挙げようとして引き起こしたものということができる。

そして、その直接の犯行動機について言えば、監禁、監禁致傷、傷害の各事件においては、方法としては間違つていたにせよ、教育とか治療あるいは懲罰等、被告人なりの主観的意図ないしは目的に直接結びついた行為として、例え僅かにせよ、まだしも酌量の余地がないではないが、DとE子に対する監禁致死事件は、自己の面子を守り、学園の維持・存続を図るために、退園しようとするDを引き止めようと画策したことに端を発する犯行であつて、教育を口にする者にはあるまじき不純な動機と言わなければならない。

そして、これらの犯行態様を見るに、成人に達している被害者に対し、いきなり手錠をかけたり足鎖をつけたりして有無を言わせずに小屋に閉じ込める等はもとより、その形状や使い方からして既に違法性の強いコンテナに未成年の園児を閉じ込める等は、もはや教育とか懲戒とかの域を著しく逸脱し、極めて独善的な思考と判断に基づく有害かつ危険な行為として強く非難されるべきである。またFに対する傷害事件は、器質的な障害があると思われる同児の問題の深刻さに思いを致すことなく、極めて姑息で素人的な発想と手段に頼つていたずらに同児に恐怖心を植えつけたものであつて、やはり教育の名に値しない行為と言うべきである。そしてDとE子に対する監禁致死事件に至つては、まだ年端もゆかず、精神的にも未熟な右両名を罠にかけて懲罰を受けるように仕向けたあげく、判示のような悲惨な結果を招いたものであり、教育を標榜する者にはあるまじき卑劣で陰険な犯行と言わなければならない。

その結果、二名の園児を死亡させ、一名の園生を相当長期間の入院を要する重症に至らせたほか、一名の幼い園児に火傷を負わせ、二名の園児には長時間密室に幽閉される恐怖と苦痛を与えたものであるが、特に判示第七の犯行においては、DとE子の両名が僅かな隙間から入る光のほかには明かりもない密室の中に少なくとも一〇数時間から二〇時間閉じ込められ、暑熱と渇きのためについに死を迎えるに至るまでに味わつたであろう恐怖と苦痛には想像を超えるものがあるところ、右両名の悔しさはもとより、その遺族らの受けた衝撃と怒り、苦しみと悔恨の情は察するに余りあるものがある。そして、幸いにも生命に影響がなかつた他の被害者らについても、このような恐怖と苦痛により受けた心の傷痕に加えて、大人や社会に対する不信感、嫌悪感を更に増大させたであろうこと、従つてこれを修復し、回復するためには容易ならぬ努力と時間を要することも想像に難くないであろう。更には、「風の子学園事件」として広く世間に報道された本件が、世人に与えた衝撃は大きく、ひいては本件被害者らと同じような悩みや問題を抱える青少年、生徒、児童らの心にまで、それでなくても抱き易い大人や社会に対する不信感を醸成させ、更に増幅させたであろうことも考えられ、このような意味において、本件各犯行が社会に及ぼした影響と波紋にはまことに大きなものがあつたと言える。

これに対して、本件公判手続における被告人の態度は、本件各被害者らを死亡させ、あるいはその身体に傷害を負わせた点については、自己の指導方法の行き過ぎであつたとして、それなりの反省と謝罪の念を表明してはいるけれども、被告人のいう「内観」として園児らを小屋やコンテナに閉じ込めた指導方法等や、先に触れたような学園の実態等については、不合理かつ独善的な自己弁護に終始して、真実自己の責任の重大さを自覚しているのか否か疑わしい面がなきにしもあらず、経済的な余裕に乏しいとはいえ、本件各被害者及び遺族らに対する謝罪と慰謝等についても、現時点では何ら見るべき措置等がなされておらず、従つて、本件各被害者及びその遺族らの被害感情には、現時点においても極めて厳しいものがあることも当然のことと言える。

四 こうして見ると、前記第一で述べた点のほか、被告人にはこれまでに比較的に軽微な罰金刑以外に前科がないこと、被告人の七〇歳という年齢や健康状態等、現時点において被告人に有利に斟酌できる一切の事情を考慮しても、なお本件における被告人の刑事責任には重大なものがあると言うべきである。

そこで、これらの諸事情を総合勘案し、主文のとおりの刑を量定したものである。

よつて主文のとおり判決する。

平成七年五月一七日

広島地方裁判所福山支部

(裁判長裁判官 藤戸憲二 裁判官 佐々木 亘)

裁判官 辻川 昭は転補のため署名押印ができない。

(裁判長裁判官 藤戸憲二)

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